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【ニュース】湯之奥金山遺跡で鉛を使った精錬法

11日付けの各紙で一斉に戦国時代に金を灰吹法で精錬していたことが確認できる土器片が出土したことが報じられました。
甲州市の黒川金山遺跡のほかに身延町の湯之奥金山遺跡から出土したそうです。

考古学にも金の製錬技術にも疎いのですが、金を鉛と一緒に溶かし灰の上に流すことで、表面張力の低い鉛を灰に染み込ませ、表面張力の高い金だけが残るという製法のようで、これにより、純度の高い金を取り出すことができるのだとか・・・

戦国期にこの製法を行っていたところは、他に島根県の石見銀山や奈良県の飛鳥池遺跡がありますが、灰ではなく土器に鉛を染み込ませるなどオリジナルな点があることから、この製法は甲州独自で発達したと考えられています。
500年近く前の甲州人がこのような技法を独自に編み出していたということに頭が下がりますね。

(以下asahi.comから引用)
県内の戦国時代の金山遺跡で、「灰吹法(はい・ふき・ほう)」と呼ばれる高度な技術を使って金が精錬されていたことが10日、わかった。灰吹法が戦国時代の金山遺跡で確認されたのは初めて。武田信玄が定め、武田軍の活躍を支えた甲州金が成立した背景に、高い精錬技術があったことを裏付ける発見だ。
県内の研究者を中心につくる甲斐金山遺跡研究会(清雲俊元・代表世話人)の調査でわかった。
同研究会によると、戦国時代の黒川金山遺跡(甲州市)と湯之奥金山遺跡(身延町)からはこれまで、金の精錬に使われたとみられる土器の破片が多数出土している。昨年9月から、16世紀半ばのものとみられる破片を蛍光エックス線装置で調べたところ、計5点から金と共に鉛が検出された。鉛を使う灰吹法で、金を精錬していた可能性が高いという。
灰吹法は灰などを盛った器の上で、不純物を含む金と鉛を一緒に溶かし、融点の低い鉛を灰に染み込ませて、金だけをとり出す精錬技術。日本には1533年、石見銀山(島根県)に初めて伝わったとされてきたが、昨年6月、奈良県の飛鳥池遺跡(7世紀後半~8世紀初め)でも同じ原理で銀を精錬していたことが発見されている。
県内の両金山遺跡では石見銀山と異なり、灰を使わず鉛を素焼きの器自体に染み込ませていたとみられる。飛鳥池遺跡の技術に近く、石見銀山と同時代に、独自の灰吹法の技術を確立していた可能性が高いという。
奈良文化財研究所の村上隆上席研究員は「日本でも古代から中世まで、灰吹法の技術が伝承されていたことを示唆する貴重な発見だ」とみる。
戦国時代、両金山遺跡から採掘された金は甲州金に加工され、武田氏の軍資金になった。甲州金は純度の高さから、重さでなく額面で取引され、江戸時代の貨幣制度の基礎になったといわれる。
帝京大学山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「灰吹法の高い技術が甲州金を生んだ可能性もある」と話した。

(以下YOMIURIONLINEから引用)
帝京大学山梨文化財研究所(笛吹市)や県立博物館などの研究者でつくる「甲斐金山遺跡研究会」は10日、県内の二つの金山遺跡で、鉛を用いた製錬技術が16~17世紀に用いられていたことがわかったと発表した。戦国時代の金山遺跡で確認されたのは全国初。国内に金山遺跡は多数存在するが、製錬技術の実態は不明な点が多く、それらを解き明かす大きな手がかりとなるという。甲斐金山遺跡は武田氏の重要な資金源とされ、戦国時代の甲斐の歴史を知るためにも大いに注目を集めそうだ。
湯之奥金山から出土した土器片から検出された金粒(円内)=顕微鏡写真(甲斐金山遺跡研究会提供) 確認されたのは、黒川金山遺跡(甲州市)と湯之奥金山遺跡(身延町)。昨年9月、約20年前の発掘調査で両遺跡から出土した土器片計110点をエックス線などで分析したところ、土器片5点から金粒と鉛が検出された。
鉛を用いた製錬技術としては、朝鮮半島から1533年に石見銀山(島根県)に導入されたとされる「灰吹(はいふき)法」がある。この方法では、金や銀鉱石と鉛を灰を入れたるつぼなどで熱して合金にし、表面張力の違いを利用して鉛や不純物を灰に染みこませ、金や銀を精製、回収する。
また、2007年6月には奈良県の飛鳥池遺跡(7世紀後半~8世紀初め)出土の土器で確認され、国内最古とされている。研究会によると、甲斐金山では製錬過程で灰が使われていないとみられ、飛鳥池遺跡の技術と類似しているという。
研究会世話人の萩原三雄・同所長は「国内の製錬技術史を解明する上で画期的な発見。ほかの金山でも一般的に行われていた可能性もある」と意義を強調した。谷口一夫・湯之奥金山博物館長も「『金山衆』として武田氏を支えた甲斐金山の職人の生活や武田氏とのかかわりを知る手がかりにもなる」と話した。

(以下毎日jpから引用)
県内の金山遺跡の歴史解明を目的に、県内外の考古学の専門家などで作る「甲斐金山遺跡研究会」(代表世話人、清雲俊元・山梨郷土研究会理事長)は10日、身延町の湯之奥金山と甲州市の黒川金山から出土した土器から金の粒と金を鉱石から取り出す「製錬」をする際に用いた鉛を検出したと発表した。銀山遺跡ではあったが、戦国期の金山遺跡から鉛が発見されるのは国内初で、中世段階での金の製錬方法を知る貴重な資料になるほか、これまで謎とされた甲斐の国独自の貨幣制度「甲州金」の製造過程などを解明する手がかりになりそうだ。
今回調査したのは、湯之奥金山から出土した土器10点と、甲州市の黒川金山から出土した土器約100点で、いずれも15世紀後半から16世紀のもの。X線を使った撮影や分析で湯之奥金山の土器1点と黒川金山の土器4点から、金の粒や鉛を検出した。
鉛による金属の製錬技術は、鉱石と鉛を灰を敷いた器に入れて炭で加熱し、溶けた鉛を灰に染み込ませて金属だけを取り出す「灰吹法」が、1533年に朝鮮から島根の石見銀山に伝わったのが最初とされていた。しかし、昨年6月、奈良県の飛鳥池遺跡(7世紀後半~8世紀初頭)の土器からも鉛が検出され、土器の材質などから灰を用いない製錬方法が古くから国内に存在したことが確認された。今回の発見は、飛鳥池と共通しており、「灰吹法」とは違った製錬法が土着の文化として国内に定着していた資料になるという。
当時、県内では「金山衆」と呼ばれる職能集団が採掘にあたっており、採掘現場で金の製錬を行う高い技術を持っていたことが分かり、多くが謎とされる山梨の貨幣文化の解明につながる可能性があるという。

(以下MSN産経ニュースから引用)
帝京大学山梨文化財研究所や山梨県立博物館の研究員らで構成する「甲斐金山遺跡研究会」は10日、県内出土の16世紀の土器から金の製錬時に使った鉛を検出したと発表した。戦国時代に鉛を使って金から不純物を取り除く技術が確立していたことがわかったといい、同研究会は「金や銀の製錬技術の歴史を知る上で貴重」としている。
研究会は、黒川金山遺跡(甲州市)と湯之奥金山遺跡(身延町)で出土していた土器について、内部成分を調査。土器表面に金が付着し周囲の土器内から鉛が検出され、金の採掘現場で化学反応を利用して金を製錬していたとみられるという。鉛を使った金の製錬は江戸時代以降の遺跡からは数多く見つかり、奈良県の7~8世紀の遺跡からも発見されたが、中世での発見例はなかったという。

(以下山梨日日新聞Web版から引用)
戦国最強とうたわれた、武田軍団の財源を支えたとされる戦国時代の甲斐の金山で、鉛を用いて金を大量に製錬する技術が確立していたことが、十日、甲斐金山遺跡研究会(清雲俊元代表世話人)の調査で分かった。黒川金山(甲州市)と湯之奥金山(身延町)の遺跡から出土した土器を科学分析した結果、土器に付着した金粒の周囲から鉛を検出。戦国時代の金山で鉛を使った製錬が確認されたのは初めてという。
同研究会によると、当時の金山のうち黒川金山と湯之奥金山は、武田家がかかわった代表的な鉱山で、国史跡に指定されている。こうした県内の金山遺跡を総合的に調査研究しようと昨年九月、帝京大山梨文化財研究所や県立博物館、奈良文化財研究所などの学識者が同研究会を発足。同館の機材を使い、両金山の出土土器片を再調査した。
エックス線透過撮影と蛍光エックス線分析をしたところ、黒川金山出土土器四点、湯之奥金山出土土器一点から、金粒とその周囲に分布する鉛を検出。金鉱石と鉛を合わせて溶かすことで不純物を取り除き、純度の高い金を製錬した痕跡とみられる。
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